2015年10月10日 (土)

コトバが人生をつくる

 谷口清超先生には、タイトルにした『コトバが人生をつくる』という著書があり、そのはし

がきに、仏教の「身(しん)・口(く)・意(い)」三業のことについて書いておられます。

 中村元著『仏教語大辞典』には、「三業」について、“身・口・意のはたらき。身と口と意の

なす行為。身に行うことと、口に言うことと、心に思うこと。この三つで一切の生活活動が尽

くされる。身業と口業と意業。あるとことをしようと意志するのが意業で、それが身体的行

動に現われるのが身業、言語表現に現われるのが口業である。”と記されている。

 中野東禅著『名僧の一言』(三笠書房)に、道元禅師の『正法眼蔵』の 「四摂法(ししょう

ぼう」にある言葉が紹介されていた。“ただまさに、やわらかなる容顔をもて、一切にむかう

べし”  すごい言葉である。

 「般若心経」が好きで、毎日読誦して、解説書も読んでみたりしているのですが、松原泰

道著『最後の「般若心経」講義』(地湧社)を読み返していたところ、次ぎの表現にであいま

した。 “植物や動物なら「品種改良」ですが、人間の場合は、品種というとちょっと柄が悪

いから、一字変えて「品性改良」と申し上げております。

 どのように改良するのか具体的にいえば、まず所作(しょさ)。身体の行為を、正しい法

(おしえ)にしたがうこと。次に口。ものの言い方を、愛情のある親切な言葉を使うようにす

る。そして意(こころ)をいつも柔軟にするように。このように身体と口と意のよき「縁」によっ

て、私たちの一生を祝福された人生に変えることができるのです。”

 私が時々行くお寺さんの掲示板に、次の言葉が書いてありました。

 「いつもハレバレ明るい心  いつもニコニコやさしい言葉  いつもイソイソ働く手足」

大正から昭和初期に活躍された浄土宗の田中木叉上人の言葉だそうです。いつも心の

中で唱えて、実践するように心がけています。

 谷口雅春先生は、『生命の実相』第1巻(p.25)で、自分の言葉の使い方一つで、心の

持ちよう一つで、表情一つで、自分の運命を意のままにできるとお説きになっておられま

す。      (以上)

2015年3月 5日 (木)

愛語

2014年8月 8日 (金)

お経の読誦について(1)

      百日紅(さるすべり) こぼれんばかりに 咲きにけり  

 今年も、暑い夏がやって来ました。あちこちで、百日紅を見かけます。本当に長い間、咲き続ける花です。この句は、以前、ほんとうに見事に咲き誇っている百日紅を見かけたときに、自然に出てきた句です。
      扇風機 おかげで今日も 昼寝かな
 できるだけエアコンを使わない生活を心がけています。
 
 さて、タイトルのお経の読誦法ですが、曹洞宗大本山永平寺講師の小倉玄照老師は、その著書『修証義のことば』のなかで、“句点・読点に関係なく音読し、息が尽きたところで文を切って息を継ぐ(呼吸中心に文を切る)のがお経の読誦法です”と述べておられます。
 私も、この呼吸法でやってきたつもりですが、或る日突然、坐骨神経痛運さんというものが出てまいりました。
 そこで、ちょっと本気になって、禅宗のお経と生長の家の聖経『甘露の法雨』などを、一回 50分ほど、腹から声をだして読むことを心がけてやっておりました。気がついてみたら、三か月半以上続いていた痛みが、ほとんど消えていました。
 かかりつけのお医者さんに話したところ、丹田を鍛えることになって、よかったんじゃないの、とのことでした。
  (丹田、ヘソの下の部分。ここに力を入れれば、健康と勇気を得るという)
 
 玄有宗久さん(臨済宗の僧侶、作家)は、五木寛之さんとの対談の書『息の発見』の中で、“お経を唱えるのが、長寿へのいちばんの呼吸法”と言っておられます。
 永平寺の宮崎奕保禅師は、108歳でした。
 お経を、仏壇の前で、ご先祖様方に供養する功徳については、続いて書こうと思っています。
 
 

2013年11月26日 (火)

「いただきます」 何を?

 以前、「少食粗食 5」で、“腹六分のグループの方が、満腹のグループの約2倍、寿命

が延びた”という、マウスを使ったアメリカの研究者マッケイの実験を紹介したことがありま

すが。「腹八分」というのも、一般的には、健康のためにと考えられているようであるが、最

近そうではないということを教えられた。

 『道元に出会う』(旺文社、1986)という本に出会った。370ページの大冊である。8人

の方々が原稿を寄せておられるが、その中では、綴り方集『山びこ学校』で知られている、

無着成恭氏の、「教育者としての道元」が、わたしには一番解りやすく書かれているなと思

われた。無着氏は曹洞宗のお寺の住職さんである。

 師匠であるお父さんが、小学六年生の頃の成恭さんに、「御飯を食べるとき、なぜ手を

合わせるのだ。なぜいただきますと言わなければならないのだ」と聞かれたのだ。

 成恭少年は、お米をつくってくれるお百姓さんや、お魚をとってくれる漁師さんに、感謝の

気持ちあらわすためじゃないの、と答えた。

 お父さんは、それもあるのだが、生き物である人間は食わなきゃ死ぬんだ。たくさんのも

のからいのちをいただいていかされているんだ。いきているっていうことは、たくさんのい

のちを殺してるということなんだ。かならず合掌して、お膳の上に並んでいる食べ物の名前

を全部心の中で、「お米さん、豆さん、にんじんさん、・・・あながたの、おいのちをいただい

て、生かしていただきます」と念じてから、いただきますと声をだしていただくのだ。

 また、食べるということは、いのちをいただくことだから、たくさん食べてはいけないのだ。

たくさん食べればたくさん殺すことになるからだ。それを不殺生戒というのだ。腹八分とい

うのは健康のためなんて言ってるけど、根本はそういうことなんだ。だいたいこのようなこ

とを教えておられたのだ。

 人を殺すことを大殺生、禽獣(鳥やけもの)を殺すことを小殺生と云うそうだが、植物を

殺すことも、殺生である。この不殺生戒を守る人は無病長寿の報いを得るそうである。ま

たそういうことについても書いてみたいと思っている。

2013年7月19日 (金)

愛語よく廻天の力あり

“愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり”は、道元禅師の言葉です。曹洞宗の読誦経典である『修証義』の第四章「発願利生」にある言葉で、私にとっては慣れ親しんでいる言葉といえるものです。『正法眼蔵』(菩提薩タ四摂法)より引用されたものです。

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 愛語はよく天地をひっくりかえすほどの力を持っている、運命をも変えてしまうはほどの力があるということです。

 臨済宗の高僧山田無文著『自己を見つめる』(禅文化研究所、平成19年 第16刷)に、その例を見ました。三十五歳で円覚寺の管長になられ、花園大学の学長もつとめられた、明治時代の名僧釈宗演さんの小僧時代のエピソードです。

 十三歳ぐらいの時のことです。お師匠さまが外出されまして、留守の間、本堂の掃除でもして疲れてしまわれたのか、縁側で大の字になって昼寝をしてしまっていた。お師匠さまがお帰りになった。「しまった!」と思ったが、もう間に合わない。足で蹴られても仕方がないと、観念して、寝たふりをしていると、“そばまでやって来られた和尚さまが、宗演の枕元を通るとき片手で合掌されて、「ごめんなされや」といってそろそろとあるいて隠寮へ入られたそうです。”

 小僧の自分の人格を認め、対等の人間として尊重されたことに感激した宗演は、発奮して修行され、円覚寺の管長にまでなられたということです。

 たまたまコンビニで手にした『心に響く100の言葉』(PHPアーカイブス、5月増刊号)に、関牧翁老師(1903~1991)、天龍寺管長さんが、“まことに「愛語よく廻天の力あり」という永平道元の言葉こそ、時には人類の運命をも決するであろう。私の座右の銘である。”と書いておられる。

 “墨染めの衣に病身を托して、雲水修行の旅に出たのが二十七歳の早春でああった。(中略)たまたま先師精拙に仕えていたとき、あやまって貴重な大皿を割った。おどろく私を見て間髪を入れず「けがをしなかったか」という慈愛の一言。思わず声をあげて泣いた。”

 愛語が、二人の高僧を生み出したというエピソードです。

2013年2月 2日 (土)

呼吸法(腹式呼吸)について

   日野原重明著『生きかた上手』を読んでから、呼吸法について関心を持ちはじめました。

日野原先生は、その中で“吸うよりも吐くことを意識するよい呼吸法は、よい生きかたと同

じ”という小見出しに続いて、“お釈迦様が弟子たちに伝授された「二段呼吸」という呼吸法

も、息を吐いて、止めて、さらに吐くものだったといいます。十分に吐くことが、健康によい呼

吸なのです。(中略)同じように、心の健康のためには、自分の能力を他人のために存分に

使うことが一番なのです。”(111ページ~112ページ)

 この腹式呼吸が、副交感神経を鍛えることになり、健康によいということは、色々な本で見

かけるようになりました。

 

 従兄弟に、臨済宗のお寺の住職がおりますが、お経の読み方を教えてくれました。同じ

内容容のことが、小倉玄照著『修証義のことば』(誠信書房、2003年)書かれていま

す。“句点・読点に関係なく音読し、息が尽きたところで文を切って息を継ぐ(呼吸中心に文

を切る)のがお経の読誦法です。”(214ページ)

 

 この読み方をやっていると、おなかがあたたかくなってきます。

 笑いも、同じ呼吸法ではないかと思いました。「大笑い 神の薬の 大笑い」

 

 

 免役力を高める、笑いも生活の中に取り入れましょう。

 

 

 

 

 

 

2012年9月 8日 (土)

自分自身を敬い拝めるか?

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  『生命の實相』第1巻 総説篇では、「七つの光明宣言」について解説がなされています。

ここでは、「生命を礼拝する」ということについて、引用してみたいと思います。

(同書4ページ)“自分は生きているという事実はとりもなおさず自分自身が「生命であると

いうことであります。そこでわれわれが「生命」を礼拝」すると申しますれば自分自身を敬い

拝むことになるのであります。自分自身が尊い「生命」であるとの自覚がすべての道徳生

活の根本になるのであります。” 

 「自分は素晴らしい神の子である」ということを、ついつい忘れてしまいがちです。現象の

「神の子」らしからぬ自分を見るにつけ、ついつい「実相の素晴らしい自分」を忘れてしまい

ます。

 『新版 叡智の断片』(p.164~p.165)に、磯貝貞夫という方の体験談が載せてあります。

“(前略)今までは、妻や両親を拝む気持ちになれなかったけれども先ず自分を拝むことか

らはじめようと、毎日鏡に向かって合掌し、自分の姿を拝んでいたらとうとう両親をも妻をも

本当に心から拝むことが出来る様になったというのである。”

 「自分はつまらない者です」と、へりくだるのが習慣となると、大変である。常に、その反

対の「自分は素晴らしい神の子である。自分は神の子で、健康で豊かで、愛深く深切であ

る。神の子無限力」などの言葉を唱えていたいものである。自分を神の子として、敬い拝め

るようになり、そして他の全ての人を拝むことができるようになるのですね。

 また周囲の人たちの美点を讃嘆するだけでなく、自分をも讃嘆することを忘れないように

したいものである。神想観、聖典拝読・聖経読誦、愛他行を実践して、神の子の自覚を深

めて行きたいと思っているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年7月28日 (土)

フト思いつく

Dscn4209_2  炎天下父祖よりの畑(はた)の草を刈る 

 小さい時から、祖母の手伝いなどで畑仕事をよくやっていたので、畑仕事は苦にはなりませんが、今年の暑さは格別です。 

 誌友会では、よく人間の運命について話させていただきますが、 谷口雅春先生著『霊供養入門ー運命は改善できる』には、人間の運命の半分は前世の業績、残りの半分の二分の一は自分の努力による業績で、残りの半分の、もう二分の一は、神又は高級霊の加護による運命の改善または修正ということが、書かれています。  

  運命改善・修正の例を、谷口雅春先生著『真理は生活にありー信仰体験の心理分析』より、運命の修正・改善の例を紹介します。212ページには、1952年(昭和27年)の「木星号」墜落事故(戦後の航空遭難第一号、三原山に激突、37名全員死亡)について書かれています。  

 生長の家の東京都信徒の連合会長の山上新太郎氏が、急に東京に仕事が出来て、「木星号」にのれなくなった。山上氏は、のれなくなったのは、守護神の導きであったと、深く感謝されたのでした。運命の修正の一例です。「リンゴの唄」の並木路子さんも、この飛行機で鹿児島に行くことになっていたのですが、映画の撮影が遅れて乗れなかったそうです。活弁士の大辻司郎さんは、お亡くなりました。  

  同書の213ページからは、交通事故で息子さんを入院させたが、毎日毎日一所懸命に神想観と「甘露の法雨」に明け暮れておられたが、点滴注射ばかりで、少しも良くならない。十日目に神想観していて、「この病院は駄目だ!」ということがピーンと来たのです。難交渉の後で、病院を変わると治療法が一変した。水も飲ますな、何にも食べさすな、と点滴ばかりであったのですが、「飯も食べさせてやれ、水も飲ましてやれ、思うように食べさしてやれ」となって、暴れる状態から,落ち着いてきたのです。複雑骨折の骨がキレイに、発熱の後で揃ってしまったのです。雅春先生は、“発熱は神が修繕中の作業熱である”と書いておられます。 

 『聖経 続真理の吟唱』の「高級神霊の導きを受ける祈り」には、“人間の運命は「ふと思いつくことを行動する」ことによって、おのずから結果が展開して行くのである。”とあります。ふと思いつかせるものは、人間の脳髄中に居ない、とあります。吾々に常に正しいアイデアを送ってくれている善霊である守護霊と吾々の波長が合うか、邪霊と波長が合うかが問題なのです。  

  “人は毎日、必ず神想観を実修して自己の心の波長を正しく調律し、神より遣わされたる高級守護霊の導きのみを感受し得る正しき心の状態に維持することが必要なのである。” 

 

 朝は30分、夜は眠る前の10分の神想観を、怠けずに続けて行こうと思っています。

2011年8月 2日 (火)

さらっと善いことをする 2

81_2  我が家の畑は、作業が遅れていまして、最近やっと、いろいろなものが、収穫できるようになってきました。

 野菜をしっかり食べて、この暑さに負けず、明るく元気いっぱいの毎日を過ごしたいものでナス。

  「諸悪莫作、衆善奉行」というみ教えを行ずることが出来るか、どんな状況でも実践できるかとなると、なかなか難しい。

 実生活のあらゆる場面で、これを実践することが仏道を行ずることでもあり、また生長の家のみ教えを生活に生かすことでもあると思います。谷口清超先生も、「諸悪莫作、衆善奉行」については、今書名は思い出せませんが、よく触れておられました。

 ち

 百歳でお亡くなりなった松原泰道老師は、その著書『道元』(アートデイズ)(260ページ~)で、次のように書いておられます。

 “私は自分を戒めるためにも、また年少の人たちのためにもと思い、暗記しやすいように、

    小さいことでも少しでも

    悪いことを避け

    善いことを行い

    他(ひと)には親切にしてあげよう

  との短文にまとめました。”

 「諸悪莫作、衆善奉行」を、どんな人にも解かる、覚えやすい、素晴らしい言葉にされたと思います。

 私は、毎朝の先祖供養の際には、この言葉も唱えています。  

 生長の家総裁 谷口雅宣先生のブログ「小閑雑感」を拝読しましょう。


     
http://www.masanobutaniguchi.com/
 
  生長の家白鳩会総裁谷口 純子先生のブログ「恵味な日々」を拝読しましょう。

   http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/

 生長の家島根県教化部のホームページもご覧下さい。
 
  
http://www.sni-shimane.com/

2011年7月 1日 (金)

さらっと善いことをする

Dscn4186_3  仏教の奥義(おうぎ)は「諸悪莫作、衆善奉行」と言われます。これは、現在も仏教徒が共通して読誦している「七仏通戒偈」の前半です。後半は、「自浄其意、是諸仏教」です。

 わかりやすい言葉にすれば、「もろもろの悪をなすことなかれ、もろもろの善を行いたてまつれ、自ら其の心を浄むるは、是れ諸仏のみ教えなり」となります。

 「さらっと善いことをする」というのは、ある和尚から聞いた言葉で、心に残っていたものですが、これが身に付いているかどうかが大切だと思います。

108歳でお亡くなりなった宮崎亦保禅師は、「スリッパを揃えなさい、そうするとスリッパが成仏する」と言われたそうです。スリッパを揃えることはやっと身に付いたと思うのですが、一つでも善い行いができるようにしたいと思っています。(次回もう少し書き足します。)

 生長の家総裁 谷口雅宣先生のブログ「小閑雑感」を拝読しましょう。


     
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いことがができるようにしたいと思っています。(あともう少し書きたします)

«皆様、日々、総裁先生のブログ http://www.masanobutaniguchi.com/を拝読いたしましょう。笑いの効用